「じゃあ、ランニングと筋トレをする」
息子は、そう言いました。
・・・一切、やっていません。
私が伝えたのは、こういうことでした。
努力や継続をすることは大事だ。その経験をしてほしい。
他人は変えられない。自分は変えられる
私は自分の対人関係の悩みについては、だいぶ解消されてきました。
以前、どうしても折り合いのつかない相手がいました。
これは離婚の話ではありません。まったく別の場面です。
こちらの言い分は、周りの人が肯定してくれていました。客観的に見ても、間違ったことはしていなかったと思います。
それでも、伝わりませんでした。
その時に改めて感じたのが、「他人は変えられない。自分は変えられる」という言葉です。
どんなに正当な意見や証拠を示しても、感情的に拗れてしまった人には伝わりません。
行動や考え方を変えてもらう。それは、できないと思いました。
相手が自分に悪感情を持っていなくても、同じです。
信じるものが違う人に、自分の信じるものを受け入れてもらう。
これも、難しいと思っています。
種はまける。でも、芽が出ることの方が少ない
ただ、種はまくことができます。
気づきの種です。
相手がそれに気づき、芽が出るかもしれません。そのまま腐っていくかもしれません。
・・・むしろ、芽が出ることの方が少ないと思っています。
「影響の輪」という考え方
これに近い考え方で、「影響の輪」というものがあります。
あとで知ったのですが、これは『7つの習慣』(スティーブン・R・コヴィー)という本に出てくる言葉です。
- 関心の輪 …… 気になるけれど、自分ではどうにもできないこと
- 影響の輪 …… 自分の力が届くこと
関心の輪にとらわれているとき、人は受け身になる。影響の輪に集中することで、主体的に動けるようになり、その輪は広がっていく。
出典:7つの習慣®「習慣1:主体的である」(フランクリン・コヴィー・ジャパン)
私の影響の輪の中にいる人やことには、声や手が届けられます。
その範囲の外にいる人の言動については、どうすることもできません。
私がそのことに苛立ったり、歯がゆい思いをしたりしても、事態は動きません。
自身の感情をどんなに昂らせようとも、事態を変えることはできない。
ニュースを見て、よその国の権力者と私の意見がどんなに合わなかろうと、彼らの行動は変えられません。
それに私がいらいらを募らせても、その思いは解消されることなく、ただ募るだけです。
ですので、気にしても仕方がない。
ある種あきらめのような考えで、乗り切ってきました。
子どもは、影響の輪の「境界」にいる
しかし、子育てとなると違います。
子どもはある意味、影響の輪の手の届く範囲の、境界にいるような気がします。
その境界線も曖昧です。
小さいうちは、手の届く範囲の中。
成長と共に、外に向かっていきます。
私は決して悪いこととは思いません。一人の意思をもつ人間になっていくのですから。
ですが、親にとっては子どもはいつまで経っても子どもです。
無意識に、自身の手で変えようとしてしまいます。
期待や自身の失敗を踏まえ、レールに乗せようとします。
自分は変えられた。息子は変えられなかった
冒頭の話に戻ります。
「じゃあ、ランニングと筋トレをする」
あれはまさに、種でした。
まいただけです。芽が出るかどうかは、私の輪の外です。
・・・ちなみに私は、筋トレは毎日続けています。
ランニングは、いまは週に1回がやっとです。これは時間の問題で、やめたわけではありません。走れるなら、走りたいと思っています。
つまり、こういうことだと思います。
自分は、変えられました。
息子は、変えられませんでした。
そして私は、その渦中にいます。
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